山内 八郎(やまうち はちろう、1906年 - 1997年)は、日本の映画俳優[1]。いわゆる大部屋俳優として、第二次世界大戦前から、1990年代まで、時代劇を中心に多数の映画テレビドラマ端役エキストラとして出演した[2]。「八っちゃん」の愛称で知られた[1][3]

小学校を出た後、染料店に奉公するが[4]尾上松之助の映画を観て映画俳優を志し、1926年に松之助の下に弟子入りを志願したが、相手にされないまま死なれ、たまたま新人を募集していた東亜キネマに入ることになる[2]スタントもこなし、榎本健一の代役で川に飛び込んだこともあったという[2]。最初期の出演作品は、無声映画であった[3]。その後、新興キネマを経て、松竹へと移籍した[4]

特に、「火のーぉ用心 ...」という夜回りの声には定評があり[1]1987年の映画吉原炎上』では、五社英雄監督が「名前は知らんが、うまいのがいる。あの男じゃなきゃだめだ」とわざわざ山内を探し出して起用された[2]

1995年には、俳優の中尾彬が山内を密着取材したテレビ東京の番組『ドキュメンタリー人間劇場 映画に人生を捧げた男~90歳の時代劇俳優』が制作・放送され、市川右太衛門北大路欣也と思い出話に花を咲かせる場面などが収録された[1][4]

1996年に収録され、1997年に放送されたドラマ『御家人斬九郎』で、初めて「夜回り与兵衛」という役名が名前の上に表示される「一枚看板」の扱いを受けたという[2]

1998年には、高瀬昌弘との共著として、『八っちゃんの撮影所人生』が出版された[5]

脚注編集

  1. ^ a b c d “90歳の時代劇俳優・山内八郎を追う 31日夜、テレビ東京系で放送”. 読売新聞・東京夕刊: p. 11. (1995年5月22日). "...九十歳の時代劇俳優、山内八郎の日常を、俳優の中尾彬が追ったドキュメンタリー人間劇場「映画に人生を捧げた男~90歳の時代劇俳優」が、三十一日午後十時からテレビ東京系で放送される。一九〇六年生まれの山内は二六年、二十歳で映画界に入った。そのころから、京都暮らしで、「八っちゃん」の愛称で親しまれている。夜鳴きそば屋の主人や、拍子木を鳴らし、「火の用心」と言って回る役では右に出る者がいないと言われるほど、時代劇には欠かせない存在だ。...師と仰ぐ名優市川右太衛門との久々の再会や、彼の息子、北大路欣也と、映画全盛期の思い出話に花を咲かせる場面を紹介する。"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  2. ^ a b c d e “[時代劇でござる]第1話「夜回り」 「火のーぉ用心」ならこの人(連載)”. 読売新聞・東京夕刊: p. 7. (1996年11月5日). "火のーぉ用心、... 声の主は、山内八郎。今年で九十一歳になる現役の役者である。...映画監督の故・五社英雄は、「吉原炎上」撮影の時、「名前は知らんが、うまいのがいる。あの男じゃなきゃだめだ」とわざわざ指名してきた。...何しろ役者を目指したのが、「目玉の松ちゃん(尾上松之助)の映画を見て、弟子入りしようと思った」という一九二六年(大正一五)のこと。...「でも、松ちゃんは会うてもくれん。二か月後には死んでしもうて、頼れるトコなくなってな。で、東亜キネマ行ったら、『お前が新人一番乗りや。あしたから来い』ですわ」...「エノケン(榎本健一)のふき替えで、伏見の川にはまったコトあるで。...」...フジテレビの「御家人斬九郎」(来年一月放送予定)で、名前のある役をもらった。...「夜回り与兵衛」。この役名が、自分の名前の上に重なるはずだ。「一枚看板もらったの、初めてや。でも、(番組が放送される)来年までは生きてへんわ。...」"  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  3. ^ a b わたしの歩跡 大部屋出身の俳優 土平ドンペイさん(52)=草津市/14 池に落ちたら手当500円/滋賀”. 毎日新聞社. 2020年12月6日閲覧。 - 初出:毎日新聞2019年4月10日地方版
  4. ^ a b c “90歳、山内八郎さんの役者人生--31日、テレビ東京系で放送”. 毎日新聞・東京朝刊: p. 29. (1995年5月15日). "テレビ東京で三十一日放送の「ドキュメンタリー人間劇場」(後10・0)は、今年九十歳になる現役俳優、山内八郎さんの役者人生を取り上げる。...市川右太衛門、北大路欣也父子とも長いつきあいがある。時代劇には欠かせないわき役。...山内さんは小学校卒業後、染料店に奉公に出るが役者への夢が捨て切れずに映画の道へ。東亜キネマ、新興キネマ、松竹と移籍。"  - 毎索にて閲覧
  5. ^ 八っちゃんの撮影所人生”. 国立国会図書館. 2020年12月12日閲覧。

外部リンク編集