山本 正房(やまもと まさふさ、1898年明治31年〉8月30日 - 1971年昭和46年〉3月5日)は日本の実業家、新聞経営者。元中国新聞社社長、元広島商工会議所会頭。

来歴 編集

広島県出身[1]旧制広陵中学を卒業後、父である山本三朗が創立した中国新聞社に入社した[1]。1933年(昭和8年)副社長に就任[1]。当時の社長は義兄の山本実一だった[1]原爆投下被害からの再建にも尽力した[1]

1958年(昭和33年)9月に山本実一が現職のまま死去したのを受けて、社長に就任した[2]

広島商工会議所会頭、中国放送取締役、広島カープ球団代表等の役職も務める[1]。1971年(昭和46年)3月5日死去(満72歳没)[1]

関連文献 編集

  • 山本正房追悼録刊行委員会(編)『山本正房追悼録』中国新聞社、1971年8月

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g "山本正房". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2021年3月8日閲覧
  2. ^ “『信頼』山本朗回想録 <17>父の死”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. (2012年10月15日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=22316 2021年3月8日閲覧。