山根 春衛(やまね はるえ、1897年4月[1] - 1981年2月25日[2])は、日本の実業家。栃木県下都賀郡瑞穂村大字土与(現・栃木市大平町土与)出身[1][2]。大正海上火災保険(現在の三井住友海上火災保険)の社長を務めた。

山根春衛(1931年以前)

来歴 編集

1917年3月に栃木中学校を卒業し、東京商科大学に入学[1]。在学中は中国・南洋各地を旅行視察し、1921年7月卒業、大正海上火災保険に入社して東京本店勤務[1]。1927年2月、社命を受けて欧米各国の保険事業を研究するため出張、1929年5月に帰国して大阪支店長代理を務める[1]。1945年4月に取締役、翌1946年6月に常務取締役[3]、さらに翌1947年5月に社長に就任する[4]

1957年5月に藍綬褒章を受章した[5]。1958年には日本損害保険協会会長に就任し[6]、1962年6月まで務めた[7]

1964年には三井鉱山の非常勤取締役となる(当時大正海上火災会長)[8]

1967年3月に朝日土地興業の社長に就任する[9]。朝日土地興業は船橋ヘルスセンターを経営していたが、山根の社長就任前年となる1966年11月決算期から赤字に転落しており、山根は1969年10月23日に社長として三井不動産への合併契約(合併は1970年4月1日付)に調印した[10]

1981年2月25日、腎不全により三井記念病院で死去(83歳没)[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 下野新聞 編『野州名鑑』下野新聞、1931年8月20日、688–689頁。 
  2. ^ a b c 『読売新聞』1981年2月26日朝刊、23頁
  3. ^ 『日本企業要覧:1967年版』食糧経済新聞社、1967年8月1日、701頁。 
  4. ^ 大正海上火災保険株式会社四十年史』大正海上火災保険、1961年(リンク先は渋沢社史データベース)
  5. ^ 大正海上火災保険株式会社四十年史』大正海上火災保険、1961年(リンク先は渋沢社史データベース)
  6. ^ 大正海上火災保険株式会社四十年史』大正海上火災保険、1961年(リンク先は渋沢社史データベース。「日木害保険協会」は誤記と見なし修正)
  7. ^ 『読売新聞』1962年6月28日朝刊、4頁
  8. ^ 「三井鉱新首脳決まる 社長に倉田氏 取締役の長老四氏も」読売新聞1964年4月17日朝刊5頁
  9. ^ 『読売新聞』1967年3月23日朝刊、4頁
  10. ^ 『読売新聞』1969年10月24日朝刊、7頁