山田 勝巳(やまだ かつみ、1905年 6月6日 - 1970年)は、日本のノルディック複合スキージャンプ選手。1932年レークプラシッドオリンピック日本代表。

北海道札幌市生まれ。北海中北海道帝国大学農学部林学科卒業後、1929年青森県の大鰐営林署へ就職。青森林友会所属で競技を続けた。

1932年レークプラシッドオリンピックスキージャンプで32位、ノルディック複合32位。

のちに鰺ヶ沢営林署をへて北海道庁へ異動。一方で全日本スキー連盟技術委員や複合部長などを歴任した。

理論家肌で逆転の発想をよくすることから””逆さん”の愛称で慕われた。[1]

外部リンク 編集

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  1. ^ 日本スキー意外史 =わが師わが友=  /伊黒正次著