山田 長兵衛(やまだ ちょうべえ、生没年不詳)は、江戸時代中期の殖産家[1]、篤農家[2]、植林功労者[2]。
越中国礪波郡湯山村の代々肝煎役を務めた家に生まれる[2]。天明年間に紀伊熊野新宮から杉苗をとりよせ植林した[1]。鍬崎山の麓の同村小字小原などでは特によく育って普及し、良質の小原杉の名を生んだ[2]。約200年後の明治16年(1883年)この山林を農商務卿の西郷従道が賞し、故長兵衛に褒詞と銀盃を贈った[2]。