岡田文次
日本の内務官僚、政治家、実業家
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岡田 文次(おかだ ぶんじ、1874年1月1日 - 1943年7月23日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。官選栃木県知事、樺太庁長官、警視総監、貴族院議員。旧姓・浜田。
岡田文次 おかだ ぶんじ | |
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生年月日 | 1874年1月1日 |
出生地 | 日本 山形県 |
没年月日 | 1943年7月23日(69歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法科大学撰科卒業 |
前職 | 警視庁官房主事 |
所属政党 | 同和会 |
称号 | 勲二等瑞宝章 |
在任期間 | 1918年9月21日 - 1943年7月23日 |
第4代 樺太庁長官 | |
在任期間 | 1914年6月5日 - 1916年10月9日 |
官選 第15代 栃木県知事 | |
在任期間 | 1911年8月11日 - 1914年6月5日 |
経歴
編集山形県出身。浜田長之助の長男として生まれ、岡田義質の養子となる。米沢尋常中学興譲館を経て、1898年7月、東京帝国大学法科大学撰科を卒業。同年12月、文官高等試験に合格し、内務属となり警保局に配属された。
1899年5月、沖縄県参事官兼臨時沖縄県土地整理事務局事務官に就任。以後、山梨県警察部長、千葉県警察部長、新潟県事務官・第四部長、警視庁第二部長、同官房主事などを歴任。
1911年8月11日、栃木県知事に就任[1]。1914年6月、樺太庁長官に転じた。1916年10月、警視総監に就任。1918年9月に退任後、同月21日、貴族院勅選議員に任じられ[2]、同和会に属し死去するまで在任。