岡田賢一郎

日本の実業家、料理人

岡田 賢一郎(おかだ けんいちろう、1965年1月2日[1]- )は、日本実業家料理人である。

おかだ けんいちろう

岡田 賢一郎
生誕 1965年1月2日
日本の旗 日本大阪府堺市
職業 料理人
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経歴・人物 編集

大阪府堺市出身。高校在学中の1982年に「焼肉亭 マダン」でアルバイトをはじめ、社員に抜擢され、そのまま就職。四ツ谷に本店を構える「ル・オテル・ドゥ・ミクニ」のオーナーシェフ、三國清三のスタイルに触発され、焼肉店にとらわれない様々なスタイルの料理を開発し、異彩を放つ。

1993年「ちゃんと。心斎橋店」を創業し、独立。1995年には、株式会社ちゃんと」を設立、グループの代表となると共に、「Ken's Dining(ケンズダイニング)」「美食酒家 ちゃんと。」「斬新和食 橙家」「新中華菜々 熱烈食堂」など、内装デザイナーに森田恭通を起用した、デザイナーズレストランを次々と展開。

1995年、岡田が考案した「キムチの王様」が、第1回日経レストランメニューグランプリ大賞を受賞[2]したことを契機に事業を拡大し、全盛期は従業員2000名超、売上は80億円にまでのぼり、「カリスマ経営者」として時代の寵児となったが、2002年頃より失速し、2011年に「株式会社ちゃんと」は民事再生法適用を申請、倒産する[3][4]

2015年、ソルト・グループ代表の井上盛夫の下で、和牛コーディネーターの浜田寿人がプロデュースする焼肉店「ジ・イノセント カーベリー」でシェフとして起用された[5][6]

脚注 編集

外部リンク 編集