岩本 賢太郎(いわもと けんたろう、1923年5月31日[1] - 2007年8月21日)は、日本実業家日本石油社長を務めた。

来歴 編集

山口県下松市出身[要出典]。1951年に東京大学を卒業して、日本石油に入社した[2]

1977年より取締役勤労部長となり、1982年に常務を経て、1988年に社長に就任[2]。1992年まで務めた[2]。1974年から1976年まで、野球部の部長も経験している[3]

2007年8月21日、心不全により川崎市内の病院で死去[2]

脚注 編集

  1. ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.86
  2. ^ a b c d “<訃報>岩本賢太郎氏(いわもと・けんたろう=元日本石油<現新日本石油>社長)”. (2007年9月7日). http://www.chem-t.com/cgi-bin/passFile/NCODE/22203 2019年9月18日閲覧。 
  3. ^ 新日本石油ENEOS野球部オフィシャルレポート2007 (PDF) - 新日本石油野球部(p.9を参照)