島村 彬(しまむら あきら、安永6年(1777年) - 弘化2年(1845年)は、江戸時代後期の儒学者、教育者。号は儺川。字(あざな)は子質。通称は孫六[1]。福岡藩藩儒[2]。
福岡藩士秋吉代蔵の子として生まれ、福岡藩の藩校修猷館教授島村遜の養嫡子となる[3]。
文化10年(1813年)修猷館の指南本役助を経て教授となり、藩主の伴読役をつとめた[3]。福岡藩主黒田家の家譜の編修にも携わった[1]。
弘化2年6月(1845年)致仕して後に死去[3]。