島津久宝 (宮之城家)
島津 久宝(しまづ ひさたか)は、薩摩国薩摩藩宮之城島津家第14代。
時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 文化13年6月11日(1816年7月5日) |
死没 | 嘉永5年12月5日(1853年1月14日) |
別名 | 図書(通称) |
墓所 | 鹿児島県宮之城町宗功寺 |
主君 | 島津斉興→斉彬 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津久儔 |
兄弟 | 久中、久宝 |
子 | 久治室、養子:久治 |
家系
編集宮之城島津家は、島津忠良の三男尚久に始まり、代々の当主の通称が「図書」で、忠長以降、薩摩国宮之城を領した。久方の代に一所持となり、久倫の代に大身分となる。家紋は宮之城十文字。
略歴
編集文化13年(1816年)薩摩藩宮之城領主島津久儔の子として生まれる。文政10年(1827年)父久儔と兄久中が相次いで死去したため、宮之城島津家の家督を相続した。
天保4年(1833年)1月、江戸高輪邸で8代藩主の島津重豪が死去し、世子斉彬に代わって菩提寺の福昌寺に代拝した。[1]
嘉永5年(1852年)2月に重富家島津忠教(久光)の次男久治を婿養子に迎える。嘉永5年(1853年)12月5日、死去。享年38。
出典
編集- ^ 平田四郎兵衛、明治29年、P12