島津 忠朗(しまづ ただあき、元和2年11月7日1616年12月15日) - 延宝4年2月16日1676年3月30日))は、江戸時代前期の薩摩藩士、加治木島津家初代当主。

父は薩摩藩主島津家久。母は鎌田政重の娘。兄弟は島津光久禰寝重永。正室は島津忠栄の娘。子は島津久薫通称は兵庫頭、又八郎。初名は忠平、忠明。

略歴 編集

元和2年(1616年)11月7日、島津家久の三男として生まれる。元和5年(1619年)、家久に伴われて京に上り、二条城で将軍徳川秀忠に拝謁する。江戸に下り幕府の証人を務める。寛永2年(1625年)、帰国する。寛永8年(1631年)、祖父義弘の隠居領の加治木1万石と、義弘付き家臣の加治木衆317家を拝領し、加治木島津家を興す。

寛永13年(1636年)、7800石の加増を受ける。万治2年(1659年)、領内に能仁寺を創建する。延宝4年(1676年)2月16日没。享年61。家督は嫡男久薫が相続した。

参考文献 編集

  • 「加治木郷土史料」