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左賢王(さけんおう)は古代の北アジアから中央アジアにかけて存在した遊牧国家匈奴の国制における地位称号の一つ。匈奴では右賢王と共に単于に次ぐ地位である。

匈奴は中国の制度に当てはめれば皇帝に当たる単于がおり、その下に左右賢王、左右谷蠡王、左右大将、左右大都尉、左右大当戸、左右骨都侯といった地位があった。それぞれ1万騎から数千騎を擁し、全部で24の長があった。左右賢王はその中でも最も地位が高く、国も最大である。24の長の下には千長、百長、什長、裨小王、相、都尉、当戸、且渠といった部下がいた。

左賢王は単于の後継ぎが就く地位であり、中国の制度で言えば皇太子である。

左右賢王の「賢」は匈奴の言葉の「屠耆」を翻訳したものである。

左賢王以下の「左」と付く地位の者は東方に陣取った。

参考文献編集

  • 史記』巻110匈奴列伝
  • 漢書』巻94上匈奴伝上