市村家橘
解説編集
「家橘」は九代目市村羽左衛門の俳名に由来する。この九代目と十二代目羽左衛門は、それぞれ「家橘」を俳名としては使ったが、実際にこれを名跡として襲名することはなかった。
また先代の市村家橘は十七代目を称していたが、初代から三代目の市村家橘に該当する者はなく、また五代目の後が七代目に、十代目の後が十五代目に飛ぶなど、他の名跡とは一風異なった代数が振られているのが特徴的。したがって実際に「市村家橘」を襲名して名乗りに使ったのは、五代目、八代目、九代目、十代目、十五代目、十六代目、十七代目の7名のみである。
九代目市村家橘が、明治五年に市村座の経営権を手離さざるを得なくなったのを機に、市村座ゆかりの「市村」の姓を「坂東」に改めている。その養子の二代目坂東家橘のとき、市村宗家による市村座座元が一時的に復活したが、このとき「坂東」をまた「市村」に戻している。
市村家橘代々編集
- 五代目 市村家橘
- 四代目の子、1748–99。
- 市村七十郎 → 二代目市村亀蔵 → 十代目市村羽左衛門 → 五代目市村家橘
- (七代目 市村家橘)
- 五代目の養子・十一代目市村羽左衛門の次男、1812–51。
- 市村豊松 → 市村亀之助 → 十二代目市村羽左衛門(俳名:七代目家橘)→ 五代目市村竹之丞
- 十代目 市村家橘
- 九代目の養子、1874–1945。実父は明治政府の外交顧問をつとめたチャールズ・ルジャンドル、母は旧福井藩藩主松平慶永の庶子池田絲。
- 坂東竹松 → 二代目坂東家橘 → 十代目市村家橘 → 十五代目市村羽左衛門
- 十五代目 市村家橘
- 十代目の養子、1905–52。
- 四代目市村竹松 → 十五代目市村家橘 → 十六代目市村羽左衛門
- 十六代目 市村家橘
- 十五代目の養子、1918–2010。実父は十二代目片岡仁左衛門。
- 片岡義直 → 二代目市村又三郎 → 十六代目市村家橘 → 二代目市村吉五郎
- 十七代目 市村家橘
- 十六代目の長男、1949– 。当代。
- 市村寿 → 十七代目市村家橘