常如

江戸時代初期の浄土真宗の僧。東本願寺15代法主。琢如の長男

常如(じょうにょ)は、江戸時代初期の浄土真宗東本願寺第十五代法主[1]

常如

寛永18年5月4日 - 元禄7年5月22日
1641年6月12日 - 1694年6月14日
上段・旧暦(生年宣明暦・没年貞享暦

下段・グレゴリオ暦
幼名 茶々丸(ささまる)
法名 常如
愚水
院号 泥洹院
光晴
尊称 常如上人
宗旨 浄土真宗
宗派 (後の真宗大谷派)
大谷祖廟
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生涯

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本ページでは、年齢は、数え年。日付は、の正確性、著作との整合を保つため、貞享元年12月30日1685年2月3日[2] )までは、宣明暦表示。 貞享2年1月1日(1685年2月4日)からは、貞享暦表示とする(生歿年月日を除く)。

寛永18年5月4日[3](1641年6月12日)、東本願寺第十四代 琢如[4]の長男として誕生。母は近衛信尋の娘。

寛文4年(1664年)12月、琢如の退隠により第十五代法主を継承する。

寛文7年(1667年)、本堂改築を発願。

寛文10年(1670年)、本堂落慶。

延宝6年(1678年)、弟の一如を法嗣[5]とする。

延宝7年(1679年)、法主を譲り退隠する。

元禄7年5月22日(1694年6月14日)、54歳にて示寂。

脚注

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  1. ^ 当時の正式名称は「本願寺」(昭和62年〈1987年〉以降は、「真宗本廟」が正式名称。詳細は、宗本一体を参照)。本願寺派本山の正式名称も「本願寺」(通称、「西本願寺」)であるため、区別するため「東本願寺」と通称されるので、「東本願寺第十五代法主」と表記する。
  2. ^ 貞享元年12月30日は、グレゴリオ暦では年が明けて、1685年2月3日。
  3. ^ 『日本仏家人名辞書』(光融館、1903年)353頁
  4. ^ 「琢」は、「」に「ヽ」を入れた旧字体(「硺」の「石偏」を「王偏」にしたもの)が正式な表記。
  5. ^ 法嗣…法主後継者のこと。