平 業兼(たいら の なりかね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿桓武平氏維衡流(伊勢平氏)、左衛門佐平業房の長男。官位従三位治部卿

 
平業兼
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明
死没 不明
改名 業隆→業兼
官位 従三位治部卿
主君 後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 桓武平氏維衡流(伊勢平氏
父母 父:平業房、母:高階栄子
兄弟 業兼教成
業光
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経歴 編集

父・業房は後白河法皇近臣で、治承3年(1179年)に発生した治承三年の政変伊豆国に流されるが、逃亡を試みたため平氏政権によって処刑された。その後、母・高階栄子は後白河法皇に仕え晩年の寵妃となる(丹後局)。

大膳亮を経て、後白河院政期後期の文治元年(1185年従五位下美濃守に叙任されると、文治2年(1186年)従五位上・民部権大輔、文治5年(1189年正五位下建久3年(1192年従四位下、建久6年(1195年)従四位上、建久9年(1198年正四位下と、母・丹後局の権勢を背景に異例の昇進を重ねた。

院政を開始した後鳥羽上皇が政治的な主導権を強めていくにつれ丹後局の威信は低下していくが、業兼は同年治部卿に任ぜられ、元久2年(1205年従三位に叙せられ公卿に列した。

承元3年(1209年)正月に子息の業光を侍従任官させるために業兼は治部卿を辞し、同年5月13日に出家した。

官歴 編集

『公卿補任』による。

系譜 編集