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平業兼
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明
死没 不明
改名 業隆→業兼
官位 従三位治部卿
主君 後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 桓武平氏維衡流(伊勢平氏
父母 父:平業房、母:高階栄子
兄弟 業兼教成
業光
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平 業兼(たいら の なりかね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿桓武平氏維衡流(伊勢平氏)、相模守平業房の子。官位従三位治部卿

経歴編集

父・業房は後白河法皇の近臣で、治承三年の政変伊豆国に流された後平氏政権によって殺された。母・高階栄子は法皇晩年の寵妃として知られる丹後局である。業兼自身も母の権勢を背景に、異例の昇進を重ねた。寿永2年(1183年大膳亮になる。文治元年(1185年民部権大輔になり、同5年には正五位下に昇叙される。建久3年(1192年従四位下に、同9年には正四位下に叙される。建仁2年(1202年)治部卿になり、元久2年(1205年)には従三位に叙された。

承元3年(1209年)1月、治部卿を辞し、同年5月13日に出家した。

系譜編集