庄司 弁吉(しょうじ べんきち、1819年文政2年) - 1864年11月15日元治元年10月16日))は、日本武士剣術家。は秀嶽(ひでたけ)。

略歴編集

水戸藩士で藩校弘道館教授方の庄司秀実の弟。

北辰一刀流玄武館に入門。稲垣定之助森要蔵塚田孔平と共に「玄武館の四天王」と称された。千葉周作没後、玄武館師範代となった。

その後、宍戸藩に仕え、江戸詰剣術指南役に就任。

1864年(元治元年)、天狗党の乱が勃発すると、宍戸藩主・松平頼徳に従い、大発勢の出陣と那珂湊の戦いに参加。戦闘終結後、罪を問われ、水戸城下の獄舎で斬首された。

参考文献編集