愛新覚羅 弘曕(あいしんかくら こうえん、雍正11年6月11日(1733年5月9日) - 乾隆30年3月8日(1765年4月27日))は、雍正帝の第六皇子。母は謙妃劉氏。

愛新覚羅 弘曕
清の皇族
果恭郡王
続柄 雍正帝第六皇子

出生 雍正11年6月11日(1733年5月9日)
清の旗 大清国北京紫禁城
死去 乾隆30年3月8日(1765年4月27日)
清の旗 大清国北京紫禁城
配偶者 范佳氏
父親 雍正帝
母親 謙妃劉氏
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生涯

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雍正帝第六皇子として生まれた。

弘曕が3際の時に雍正帝が崩御したので、乾隆帝の皇子達と一緒に育てられた。

乾隆3年 (1738) 2月に叔父允礼の養嗣子 (過継) となり和碩果親王を承襲。

乾隆28年(1763年)5月13日、弘曕が塩商人への借金を理由に​​高恒高麗人参の販売を依頼し、炭鉱を開坑する際に民の財産を差し押さえたことが明らかになった。 乾隆帝は激怒し、弘曕を貝勒に降格し、免職とした。

乾隆30年(1765年)2月28日、重病で危篤となった弘曕は郡王に封じられ、同年3月8日、33歳で逝去した。

家族

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妻妾

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  • 正室 (嫡福晋):范佳氏
  • 側室 (側福晋):張佳氏
  • 側室 (庶福晋):劉佳氏

子女

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  • 長子:多羅果簡郡王永瑹 - 生母は嫡福晋范佳氏
  • 次子:一等鎮国将軍永璨 - 生母は嫡福晋范佳氏
  • 第三子:早逝 - 生母は庶福晋劉佳氏

登場作品

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参考文献

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