志村 實因(しむら さねより、延享3年11月7日1746年12月18日) - 天保3年5月18日1832年6月16日))は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した仙台藩儒学者

陸奥国江刺郡(現岩手県)羽黒堂村中山の出身。弟に志村時恭東嶼)と志村弘強蒙庵)がおり、兄弟三人とも儒学者として江戸時代中期から後期にかけて活躍し、志村三珠樹と称された。(あざな)は子環。別号に五城、東華、士轍(詩名)、森玉軒(齋名))。

江戸の昌平黌に学び、仙台藩の大番士となり、藩校養賢堂で教育に尽力した。子がいなかったため、末弟の志村弘強(蒙庵)を養子に迎え入れている。

天保3年(1832年)、87歳(数え年)で死去。

仙台市立木町通小学校(明治六年創立)のWebサイトには、「学校の敷地は、藩儒、志村五城の屋敷跡を一部に含み、藩校「養賢堂」の前身にあたる旧学問所跡に近く、古くから文教にゆかりの深い土地柄でした。」と紹介されている[1]

著書 編集

  • 『諸家七絶集』(宮城県図書館古典籍類所蔵資料)
  • 『志村五城書』(宮城県図書館古典籍類所蔵資料)

脚注 編集

  1. ^ 学区の概要

参考文献 編集

  • 志村健雄『三珠樹集』(国立国会図書館蔵書、公共図書館蔵書、1911年)
  • 志村健雄『志村氏族譜・族譜補』