1746年
年
1746年(1746 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
千年紀: | 2千年紀 |
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世紀: | 17世紀 - 18世紀 - 19世紀 |
十年紀: | 1720年代 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代 |
年: | 1743年 1744年 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年 |
他の紀年法
編集カレンダー
編集できごと
編集- イギリス植民地軍、カナダ遠征。
- ジャガイモ(馬鈴薯)から片栗粉とアルコールを精製する方法を発見したスウェーデンの作物栽培学者、エクブラッド伯爵夫人が、自身の研究結果をスウェーデン王立科学アカデミーに報告する。
- ヴィールコヴェ(オデッサ州、現ウクライナ)が建設される。
- 清
- 13植民地
- ノースカロライナ植民地の総督であったガブリエル・ジョンストンが、当時植民地で一番大きい街であったニューバーンへと移り住む。1792年にローリーが新しい州都として建設されるまで、ニューバーンはイーデントンに代わるノースカロライナ州の州都であった。
- ニュージャージー大学(現プリンストン大学)創立。
- フランス
- 西アジア
- オスマン帝国とアフシャール朝のあいだで、オスマン・ペルシア戦争の講和条約であるケルデン条約(イラク=イラン国境条約)が締結される[2]。
- ティベリアを根拠としていたザヒール・アル=ウマルがアッカの支配権を掌握する[2]。
- 東アフリカ - アリ・イブン・ウスマン('Ali ibn Uthman al-Mazru'i)がモンバサの君主を名乗る[3]。
1月-3月
編集- 1月8日 - 若僭王チャールズ・エドワード・ステュアートがスターリングを占領。
- 1月17日 - フォルカーク・ミューアの戦い。イギリス政府軍がジャコバイトに敗北。
- 2月1日 - 現在のラージャスターン州に位置するメーワール王国の君主、ジャガト・シング2世が人造湖ピチョーラー湖に浮かぶジャグニワス島に建てた夏宮、ジャグ・ニワスの落成式を行う[4]。
- 2月19日
- 当時オーストリア領ネーデルラントの一部であったブリュッセルが、モーリス・ド・サックス将軍率いるフランス軍に降伏する[5]。
- カンバーランド公爵ウィリアム・オーガスタスが1745年ジャコバイト蜂起の参加者に恩赦を与える公布を行い、地元の長老派教会に武器を差し出せば処罰を免除されるように指示を出した[6] 。
- 3月10日 - ムガル帝国のラホール総督、ザカリヤ・カーン・バハドゥールが市中のシク教徒の虐殺を命ずる[7]。
4月-6月
編集- 4月20日(延享3年2月30日) - 江戸で坪内火事(大火)[10]。宵、戌の刻に築地から出火し、中村座・市村座を焼く。翌日浅草へ飛び火、小塚原で鎮火。
- 5月27日 - 1745年ジャコバイト蜂起を主導したラヴァト卿、キルマーノック伯爵、バルメリノ卿の3人が、イギリス政府によってロンドン塔に収監される。キルマーノック伯爵とバルメリノ卿はその年のうちに、ラヴァト卿は翌年1747年に斬首刑に処された[11]。
- 6月16日 - ピアチェンツァの戦い(オーストリア継承戦争)。リヒテンシュタイン公ヨーゼフ・ヴェンツェル率いるオーストリア軍が、フランス=スペイン連合軍を破る。
- 6月18日 - サミュエル・ジョンソンが『英語辞典』の執筆を請け負う。
- 6月29日 - リッチのカタリナ(1522年生まれ)がベネディクトゥス14世によって列聖。
7月-9月
編集- 7月3日 - 清が出した禁教令に背き、30年に渡って福州で布教活動をしていたドミニコ修道会のスペイン人宣教師、ホアキン・ロヨ神父が捕らえられる[12]。彼と3人の神父は、2年後の1748年10月28日に獄中で絞首刑に処され殉教。
- 7月9日 - スペイン国王フェリペ5世が、在位45年を経て崩御。長男フェルナンドがフェルナンド6世として即位。
- 8月1日 - ハイランド・ドレス着用禁止法によって、イギリス政府がスコットランド内でのキルトの着用を禁止。(なお、実際の発効日は1747年同日であった。)
- 8月10日 - オーストリア継承戦争:ロットフレーノの戦い。フランス軍がオーストリア軍の追撃を退けるも、ロットフレーノからは撤退。
- 8月16日 - ワラキアで農奴制廃止[13]。
- 8月18日(延享3年7月2日)
- 8月16日 - グアスタッラ公国最後の公、ジュゼッペ・マリア・ゴンサーガが死去。同国はマリア・テレジア治下のロンバルディアに吸収。
- 8月19日 - ジョージ王戦争:マサチューセッツ砦包囲戦。フランス・インディアン連合軍700人がマサチューセッツ砦を攻撃し、これを焼き払う。11名殺害、19名捕縛[15]。
- 8月26日 - オランダ東インド会社、オランダ領東インド総督のグスタフ・ウィレム・ファン・インホフが、バタヴィア(現在のジャカルタ)でインドネシア初の郵便会社であるポス・インドネシアを開設。1961年、独立後のインドネシア政府によって国有化され、1995年に現在の形となった[16]。
- 8月 - 清、福建・上杭県で羅日光らによる抗租運動おこる[13]。
- 9月6日 - オーストリア継承戦争:ナミュール包囲戦 (1746年)。クレルモン伯率いるフランス軍がベルギーの街、ナミュールを包囲、占領した(-30日)。
- 9月10日 - カーナティック戦争:フランス東インド会社軍、マドラス占領(-1749年)[13]。
- 9月20日 - 1745年ジャコバイト蜂起に失敗したチャールズ・エドワード・ステュアートが、ハイランド西岸に位置するロッホアーバーのアリセグ(Arisaig)村からスカイ島へと逃亡。後年、アリセグ村の東、ナン・ウアム湖(実際には海岸である)のほとりに、この事件を記念して「王子のケアン」が建立された。
10月-12月
編集- 10月5日(延享3年8月21日) - 三大名作のひとつ、初代竹田出雲らによる浄瑠璃『菅原伝授手習鑑』が大坂竹本座で初演[10]。
- 10月11日 - オーストリア継承戦争 - ロクールの戦い。モーリス・ド・サックス率いるフランス王国軍が、リエージュ近くのロクールでオーストリア、イギリス、ハノーファー、オランダの連合軍に勝利。
- 10月22日 - エリザベス(ニュージャージー植民地)にプリンストン大学の前身であるニュージャージー大学が開校される。1896年に現在の名前に改称された[15]。
- 10月28日 - ペルー、リマ・カヤオ沖でM8.3の地震[17][18]。
- 11月4日 - カーナティック戦争 - アディヤールの戦い。マドラスからフランス軍を排除しようとしたカルナータカ太守のアンワールッディーン・ハーン率いる1万の軍勢が、パラディ大佐以下フランス東インド会社のフランス兵とセポイを合わせた700人の軍勢によって逆に撃退される[19]。
- 12月5日 - ジェノヴァの青年、ジョバン・バティスタ・ペラッソの投石をきっかけに、ジェノヴァ市民がオーストリア占領軍と軍政長官であったボッタ・アドルノ侯爵に対する反乱が勃発。彼らは12月11日にはジェノヴァからオーストリア軍を追い出したが、数カ月後にふたたび包囲されることとなる[20]。→「ジェノヴァ包囲戦 (1747年)」も参照
- 12月27日(延享3年10月25日)- 大岡忠光、将軍徳川家重の御側御用取次となる[10]。
誕生
編集→「Category:1746年生」も参照
- 1月12日 - ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ、教育実践家(+ 1827年)
- 1月13日 - グスタフ3世、スウェーデン王(+ 1792年)
- 3月30日 - フランシスコ・デ・ゴヤ、画家(+ 1828年)
- 7月7日 - ジュゼッペ・ピアッツィ、イタリアの天文学者(+ 1826年)
- 5月9日 - ガスパール・モンジュ[21]、科学者・工学者(+ 1818年)
- 5月19日(延享3年3月29日) - 岡部長修、和泉岸和田藩の第7代藩主(+ 1796年)
- 6月23日(延享3年5月5日) - 塙保己一、国学者(+ 1821年)
- 7月23日 - ベルナルド・デ・ガルベス、スペインの軍人・政治家(+ 1786年)
- 9月28日 - ウィリアム・ジョーンズ、言語学者・裁判官(+ 1794年)
死去
編集→「Category:1746年没」も参照
フィクションのできごと
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ DK 2013, pp. 252–253.
- ^ a b 歴史学研究会 2017, p. 197.
- ^ DK 2013, p. 252.
- ^ Cheryl Bentley, A Guide to the Palace Hotels of India (Hunter Publishing, 2011)
- ^ George Edmundson, A History of Holland (Ozymandias Press, 2018)
- ^ Geoffrey Plank, Rebellion and Savagery: The Jacobite Rising of 1745 and the British Empire (University of Pennsylvania Press, 2015) pp61-62
- ^ Harish Jain, The Making of Punjab (Unistar Books, 2003) p193
- ^ Historic Environment Scotland. "Battle of Culloden (BTL6)". 2020年6月18日閲覧。
- ^ “DAVID MORIER (1705?-70) - An Incident in the Rebellion of 1745” (英語). Royal Collection Trust. 2021年2月14日閲覧。
- ^ a b c d e 山本 2007, p120
- ^ Richard Davey, The Tower of London (E. P. Dutton, 1910) pp333-334
- ^ Anthony E. Clark, China's Saints: Catholic Martyrdom During the Qing (1644–1911) (Lexington Books, 2011) p73
- ^ a b c 歴史学研究会 2017, p. 196.
- ^ (ドイツ語) Die Behördenorganisation und die allgemeine Staatsverwaltung Preussens im 18. Jahrhundert. Verlag von Paul Parey. pp. 134–135
- ^ a b 中村 2010, p. 285.
- ^ “Pos Indonesia”. www.posindonesia.co.id. ポス・インドネシア. 2022年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月10日閲覧。
- ^ Okal(2006) (PDF) Okal, E.A.; Borrero J.C. and Synolakis C.E. (2006): Evaluation of Tsunami Risk from Regional Earthquakes at Pisco, Peru. Bulletin of the Seismological Society of America 96 (5): 1634–1648.
- ^ DEFINING TSUNAMI SOURCES (PDF) Review of Tsunami Hazard and Risk in New Zealand. Institute of Geological & Nuclear Sciences Limited
- ^ Sir William W. Hunter, The History of Nations: India (John D. Morris, 1906) p179
- ^ "Eighteenth Century", in Warfare and Armed Conflicts: A Statistical Encyclopedia of Casualty and Other Figures, 1492-2015, ed. by Micheal Clodfelter (McFarland, 2017) p77
- ^ “Registres paroissiaux et/ou d'état civil : 16 janvier 1745 - 1746” [Parish and/or civil registers: January 16, 1745 - 1746] (フランス語). Archives of the Department of Côte-d'Or. p. 174/281. 2021年3月3日閲覧。
参考文献
編集- 遠藤元男 (2017-4-25). 江戸時代年鑑 雄山閣アーカイブス資料篇. 雄山閣. ISBN 978-4-639-02482-8
- “6. 大芝居繁栄之図|東京都立図書館”. 東京都立図書館. 2021年2月14日閲覧。
- ドーリング・キンダースリー 著、藤井留美 訳、樺山紘一 編『ビジュアル版 人類の歴史大年表』柊風舎、2013年11月11日。ISBN 9784864980074。
- 中村甚五郎『アメリカ史「読む」年表事典1』原書房、2010年10月22日。ISBN 978-4562046423。
- 山本博文, ed (2007-10-10). 見る、読む、調べる 江戸時代年表. 小学館. ISBN 978-4-09-626606-9
- 歴史学研究会 編『世界史年表 第3版』岩波書店、2017年10月28日。ISBN 9784000612265。