志村 貞昌(しむら さだまさ)は、江戸時代旗本八王子千人同心9人の千人頭の一家。

 
志村 貞昌
時代 江戸時代
生誕 天正18年(1590年
死没 寛文2年2月15日1662年4月3日
別名 茂左衛門、勘左衛門
戒名 恵文(法名)
墓所 宗格院(八王子市)、恵林寺(山梨県)
幕府 江戸幕府
主君 徳川家
氏族 清和源氏小笠原氏志村氏
父母 父:志村貞精、母:鷹野右近の娘
兄弟 志村貞昌、田澤治左衛門、河野通次
志村昌之志村昌元、娘(原正胤の妻)、娘(窪田正久の妻)
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略歴編集

八王子千人同心の9家の千人頭のうちの一家、千人頭となる。

寛永8年(1631年)3月4日に武蔵国都筑郡荏原郡上総国周淮郡において450石を与えられた。寛文2年(1662年)2月15日、73歳で死去[1]

その他編集

長篠合戦図の屏風にて山県昌景の首を持ち帰った志村又左衛門の子孫にあたる。

脚注編集

  1. ^ 寛政重修諸家譜』巻第千二百四十五

参考文献編集

  • 数馬広二「八王子千人同心における武芸 大平真鏡流を中心として」『武道学研究 25』、1992年