志氐神社
志氐神社(しでじんじゃ)は三重県四日市市羽津地区大宮町に立地する古墳跡地の神社。神紋は十六弁菊である。
志氐神社 | |
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所在地 | 三重県四日市市大宮町14-6 |
位置 | 北緯34度59分27.5秒 東経136度37分58.6秒 / 北緯34.990972度 東経136.632944度座標: 北緯34度59分27.5秒 東経136度37分58.6秒 / 北緯34.990972度 東経136.632944度 |
主祭神 | 気吹戸主神ほか |
社格等 | 式内社、旧県社 |
創建 | 不明 |
地図 |
由緒
編集延喜式内社。社記に垂仁天皇の時代の創建された神社となっている。志氐(漢字表記では「氏」の下の部分に「一」の文字があり)「シデ」とは御幣の意味である。桑名より鈴鹿の忍山宮への遷幸の路次に当っている為である。また天武天皇が壬申の乱に際し、吉野より鈴鹿を経て、朝明郡迹太川辺にて伊勢神宮を望拝した時、木綿取垂て大御身の禊をなしたところとする。志氐(漢字表記「氏」の下に「一」)の埼、志氐が野の地名ある。祭神は風の神の気吹戸主神とイザナミとイザナギなどである。古代国家の死者の霊魂と関係がある神社である。古墳時代の支配者の霊魂の神社とされる。古墳時代の古墳跡地に立地している古墳神社である。[1]
古墳の台地の地形を利用して神社が建設された。古代日本の大和時代や奈良時代の朝廷内の戦争の軍事基地として古墳神社内で祈願した言い伝えあり。神社付近に羽津城(赤堀氏一族の羽津氏支配地)跡地と志氐神社古墳の歴史遺産がある。大日本帝国時代に建設された伊勢神宮がある。明治神宮の拝殿施設もある。須賀社など羽津村と八幡村と吉沢村と別名村など近隣神社を合祀した。[2] 明治6年に郷社に万古焼が奉納された昭和6年に三重県の県社に指定される。[3]羽津村の森氏が江戸時代から昭和初期の神主であった。妻恋稲荷神社が神社境内にあり日本武尊と弟橘媛命夫妻の恋愛及び縁結び関係の神社である。
志氐神社古墳
編集四日市市内唯一の前方後円墳で江戸時代の嘉永年間(1852年)の発掘でガラス品など副葬品が発見された。神社拡張工事で前方部の古墳部分は削除された。四日市市指定史跡。
妻恋稲荷神社
編集神社の近代化
編集明治時代末期(明治42年の地域神社を合祀する国家方針)に長谷神社など多数の羽津村内の他社を合祀。大正時代(大正12年)に、在郷軍人会の除雪記念碑が入口付近に設置。[4]平成4年生まれの後継者の富永神主が令和初期に神社を高級化させる高級化神社路線で、高級感がある神社奉納の絵馬にして、絵馬関係の神社サービスを充実させる方針となった。神社奉納の絵馬の高級化で絵馬の値段が平成期の500円から令和初期に800円に値上げされた。
関連項目
編集最寄り駅
編集脚注
編集参考文献
編集- 『三重県神社誌』四日市市の項目の記述の382ページと383ページ。
- はづ神社特集四日市市合併記念誌3冊目