恋の痛手」 (Only Love Can Break a Heart) は、ジーン・ピットニーが1962年に発表した楽曲。全米2位を記録。作詞作曲はバート・バカラックとハル・デヴィッド。

恋の痛手
ジーン・ピットニーシングル
初出アルバム『恋の痛手』
B面 恋のジューク・ボックス
リリース
規格 7 inch single
録音 1962年(アルバム『Only love can break a heart』収録)
ジャンル ポップス
時間
レーベル ムジコール・レコード
作詞・作曲 バート・バカラックハル・デヴィッド
プロデュース  ウォリー・ゴールド, アーロン・シュローダー
ゴールドディスク
ゴールドディスク
チャート最高順位
ビルボード2位
ジーン・ピットニー シングル 年表
リバティ・バランスを射った男
(1962年)
恋の痛手
(1962年)
Half heaven half heartache
(1962年)
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解説 編集

バート・バカラックとハル・デヴィッドのコンビは「恋の痛手」(1962)をジーン・ピットニー用に作曲したもののピットニーの反応はいまひとつで,カントリーを思わせる曲調にやや違和感をもっており,むしろB面の「恋のジューク・ボックス(If I Didn't Have a Dime (To Play the Jukebox))」に魅力を感じ、DJたちにもB面のオンエアーを希望していたようだ。[1]仕方なく録音したピットニーだったが結果は全米第2位を記録する大ヒットとなり、B面の「恋のジューク・ボックス」も全米58位を記録し両面ヒットとなった。皮肉にもその時第1位を記録したクリスタルズ「He's a rebel」はジーン・ピットニーの作品だった。

1967年にはマーガレット・ホワイティング盤が全米96位、1977年にはボビー・ヴィントン盤が全米99位を記録した。

ジーン・ピットニーは「True love never runs smooth」(1963)、「星影のベティ」(1963)、「フール・キラー」(1967)などバカラックの作品を数多く録音するが「恋の痛手」が最大のヒットであった。「愛の痛手」を邦題とする資料も存在する。日本ではAB面を逆にして発売され「恋のジューク・ボックス」がヒットした。

主要なカヴァー 編集

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出典 編集

  1. ^ Bacharach; maestro!the life of a pop genius, by Michael Brocken, Chrome Dreams, c2003,p. 114, ISBN 1-84240-219-6
  2. ^ Top pop album tracks, 1955-1992, by Joel Whitburn, Record Research, c1993, p.326, ISBN 0-89820-094-6
  3. ^ Top Country Singles; 1944-1996, by Joel Whitburn, Record Research, c1997, p.515, ISBN 0-89820-100-4
先代
フランク・アイフィールド
「アイ・リメンバー・ユー」
Billboard Middle-Road Singles 1位
1962年10月27日 - 11月3日(2週)
次代
ブレンダ・リー
オール・アローン・アム・アイ