恵伊羅 御子(えいら の みこと、生没不詳)は、奈良時代の人物。阿波国祖谷山(現在の徳島県三好市)の開祖とされる。ゑいらのみことも表記される。「都からの未来人」とも呼ばれている。

人物 編集

京都で罪を犯した恵伊羅御子は、752年天平勝宝4年)に流刑となった土佐国と勘違いをして祖谷山へ入ってしまい、土佐も祖谷山も同じだと考えこの地に住み着き、妻である小野姥と共に元々住んでいた人たちに焼畑の仕方や鉄のくわの作り方などを教えて開発を進めていったという伝承がある[1]

恵伊羅御子は剣山に登り、山頂の大岩で山神を祀り、それから祖谷川を川下へ開いたといわれている[2]

また徳島県三好市西祖谷山村閑定には「恵伊羅御子の墓」が存在し、閉園したお山公園を通り抜けなければならないのだが、閉園後の現在も参拝可能となっている[3]

脚注 編集

  1. ^ えひめの記憶”. 愛媛県生涯学習センター. 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ 三好市「旧東祖谷山村」の伝説”. 徳島県立図書館. 2023年8月27日閲覧。
  3. ^ 素掘り地下迷路の天国・地獄巡りの廃墟”. trabel.jp. 2023年8月27日閲覧。