感和亭鬼武

1760-1818, 江戸時代の戯作者

感和亭 鬼武(かんわてい おにたけ、宝暦10年(1760年) - 文化15年2月21日1818年3月27日))は、日本の戯作者。1806年刊の「自来也説話」で知られる。

人物 編集

本名は前野曼七(まえのまんしち、前野曼助とする説もあり)。剣術神道無念流の使い手であり、もとは一橋家の勘定方家臣であったが、武士をやめ隠居の身となる。

その後、飯田町に住んだのち浅草へ転居、画を谷文晁に、戯作を山東京伝に弟子入りして学んだ。交流のあった文人に十返舎一九らが挙げられている。

北宋の説話集「諧史」に登場する盗賊の物語を翻案し、1806年に「報仇奇談自来也説話(かたきうちきだんじらいやものがたり)」を刊行。蹄斎北馬によって描かれた挿絵もあいまって評判となり、1807年に物語を基にした歌舞伎舞台が大坂で上演されるなどし、鬼武は一躍著名な戯作家となる。

「近世物之本江戸作者部類」(滝沢解編)によれば、鬼武は梅毒に冒されて死亡したとされる。

鬼武を題材にした作品 編集

外部リンク 編集