慧聡(えそう、生没年不詳)は、飛鳥時代に百済から渡来した僧。
慧聡 | |
---|---|
飛鳥時代 | |
尊称 | 三宝の棟梁 |
生地 | 百済 |
宗派 | 三論宗 |
弟子 | 厩戸皇子 |
テンプレートを表示 |
推古天皇4年(596年)に法興寺(現在の飛鳥寺安居院)が造営すると、蘇我馬子の長男の蘇我善徳が寺司となった。この造営後の法興寺に渡来僧の慧慈と共に住み、蘇我氏などの厚遇を受けて三宝の棟梁と称されたが、これらの事績は伝説である[1]。
遠く14世紀の応長元年(1311年)成立の『三國佛法傳通縁起』は、三論宗(南都六宗の一つ)の学僧で厩戸皇子の仏教の師と称している。
この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 |
この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。 |