成田 重長(なりた しげなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将下野国烏山藩主・成田泰親の長男。通称は新十郎[1]。母は上杉憲盛の娘[1]

 
成田重長
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 慶長8年5月7日1603年6月16日
別名 新十郎(通称)
幕府 江戸幕府
下野烏山藩
氏族 成田氏
父母 父:成田泰親、母:上杉憲盛の娘
兄弟 泰之泰直
房長
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生涯

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『成田系図』によれば慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは幕下に従ったと記されている[1][注 1]。また、『行田史譚』によれば泰親は4から5年で家督を重長に譲り隠居したと記されているが[3]、重長が家督を継いだ確証はない[2]

慶長8年5月7日1603年6月16日)に死去[1]。法名は黙室宗伝居士[1]。『断家譜』によれば重長には房長(新五郎)という嫡子がいたが父・泰親が亡くなった当時は幼年であったといい、実弟の成田泰之が房長が成人するまでとの条件で家督を継いだと記されている[4][5]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『成田系図』によれば重長は泰親の没後に家督を継ぎ、烏山城を領したと記されているが明らかな誤りと指摘されている[2]

出典

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  1. ^ a b c d e 行田市史編さん委員会 2012、528頁
  2. ^ a b 黒田 2012、227頁
  3. ^ 黒田 2012、185頁
  4. ^ 行田市史編さん委員会 2012、552頁
  5. ^ 社会教育課郷土史料係 編『騎西町史 通史編』騎西町教育委員会、2005年、233頁。 

参考文献

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  • 黒田基樹 編『論集戦国大名と国衆 7 武蔵成田氏』岩田書院、2012年。ISBN 978-4-87294-728-1 
  • 行田市史編さん委員会 編『行田市史 資料編 古代中世』行田市教育委員会、2012年。