成田泰直
生涯 編集
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、次兄の泰之(氏宗)に付き従って軍功を挙げた。
元和8年11月7日(1622年12月9日)に嗣子のいなかった第2代藩主の氏宗が急死すると、泰直は跡目の相続を幕府に対して願い出た[2]が、長兄・重長の嫡男であった房長(新五郎)が成長していたこともあって家督争いが起きた[2]。幕府は氏宗に嗣子無し(『断家譜』)として泰直・房長の両者共に相続を認めず、烏山藩成田家は改易された[2][3]。泰直のその後については不明である。
脚注 編集
出典 編集
参考資料 編集
- 工藤寛正 編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年1月20日。ISBN 978-4-4901-0725-8。