戸川 安廣(とがわ やすひろ、承応3年(1654年) - 宝永6年9月21日1709年10月23日)は、江戸時代前期から中期の幕臣旗本)・知行3000。官位は従五位下・備前守、のち日向守通称は大九郎、のち主膳、平右衛門など。

経歴 編集

戸川安利の子として生まれる。妻は小出尹貞の娘。子に戸川安勝

寛文4年(1664年)12月、弟・安村に知行地(3300石)のうち東庄村(岡山県倉敷市)の一部300石を分知する。

安廣も父と同じく新田開発に力を入れた。延宝4年(1676年)父が開発させて失敗した高沼新田(寛文4年(1664年))の再開発を戸川重明と共同で行った。また、宝永4年(1707年)にも戸川安貞と共同で早沖新田・帯沖新田(倉敷市茶屋町)の開発に着手した。

江戸幕府では、書院番目付西の丸留守居役勘定奉行を歴任した。

宝永6年(1709年)9月21日没。跡目は弟の安村が継いだ。

先代
戸川安利
帯江戸川家当主
2代:1664年 - 1709年
次代
戸川安村