戸田 一心斎(とだ いっしんさい、1810年4月20日文化7年3月17日) - 1872年1月15日明治4年12月6日))は、江戸時代後期から幕末武士直心影流剣術家である。通称・栄之助、・良茂。

伊予国大洲藩士戸田勘助の子。剣術を赤石軍次兵衛孚祐に学ぶ。

諸国を武者修行したのち、1833年天保4年)京都に移り住み、河原町道場を開く。門人1000人ともいわれる大道場となった。師範代に同郷の高山峰三郎をおいた。籠手田安定(のちの県知事貴族院議員)も通っていた。

参考文献 編集