戸田 為春(とだ ためはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士。藤原惺窩の門人としても知られた。

 
戸田 為春
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永元年5月29日1624年7月14日
別名 帯刀(通称)、斥鷃(号)
戒名 照高院華屋為春
主君 徳川家康浅野幸長長晟
紀州藩
氏族 戸田氏
父母 父:戸田一西
兄弟 氏鉄、正直、為春勝興山口直友室、
三宅康信正室、内藤正成
娘(六条有純室)
テンプレートを表示

生涯編集

徳川氏家臣の戸田一西の三男として生まれる。慶長2年(1597年)、本多政重と共に岡部荘八徳川秀忠の乳母大姥局の息子)を殺害し逐電する。後に浅野幸長に仕えた。慶長20年(1615年)、浅野長晟に従い、組頭として大坂夏の陣に出陣したが、軍法違反により致仕した。寛永元年(1624年)5月29日死去。

娘は長兄で大垣藩主の氏鉄の養女として公家の六条有純に嫁ぎ、その娘の永光院(お万の方)は僧籍となるも還俗させられ将軍徳川家光の側室となった。その弟の氏豊は氏鉄に寄宿していたが、姉の推挙により戸田姓を名乗って江戸幕府高家として仕えた。

参考文献編集

  • 『大垣市史』