摩天嶺の戦い(まてんれい-)は、日露戦争中の戦闘の一つ。摩天嶺に布陣していた日本陸軍第1軍第2師団に対してロシア陸軍東部兵団が攻撃をしかけることで起きた。

摩天嶺の戦い
戦争日露戦争
年月日1904年7月17日
場所千山山脈摩天嶺付近(現在の本渓市遼陽市の境界)
結果:日本軍の勝利
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
指導者・指揮官
黒木為楨大将 ケルレル中将  
戦力
10,900人 26,600人
損害
死傷者355名 死傷者1,213名
日露戦争

ロシア軍は日本軍の約2.5倍という大兵力で摩天嶺西方から砲撃を仕掛けたものの、第2師団は既に陣地を構築していたため、頑強に抵抗した。日本陸軍から側面攻撃を受けたこともあって東部兵団は撤退するが、その際に司令官のフェードア・ケルレルは砲撃に倒れた。

摩天嶺の確保に成功した日本陸軍は遼陽への足がかりを保持した。