文室 有真(ふんや の ありざね/ありま)は、平安時代初期から前期にかけての貴族官位従五位上下総守

 
文室有真
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位上下総守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 文室氏
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経歴 編集

承和7年(840年従五位下叙爵し、出羽守に任ぜられる。承和15年(848年)には左衛門佐に任ぜられる一方、班山城田使長官近江介にも補任され、引き続き地方行政に携わった。

仁寿4年(854年相模権守斉衡3年(856年)従五位上・陸奥守に叙任されるなど、文徳朝でも地方官を歴任する。しかし、貞観3年(861年)の陸奥守の任期終了時に、新任国司の坂上当道との解由がうまく進まず、期限内に官物の引き継ぎができなかったことを理由に記事・葛木種主と共に公事稽留罪を科せられた[1]

その後も貞観5年(863年)下総守となおも地方官を務めている。

官歴 編集

六国史』の記載に従う。

脚注 編集

  1. ^ 日本三代実録貞観3年2月2日条。