文室 正嗣(ふんや の まさつぐ)は、平安時代初期の貴族官位従五位下周防守

 
文室正嗣
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下周防守
主君 平城天皇嵯峨天皇
氏族 文室氏
河上王妃
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経歴 編集

大同3年(808年)6月に中務少輔、8月に斎宮頭、翌大同4年(809年)正月に豊後守、2月に陰陽頭平城朝後半にかけて短期間に官職を転々とした。嵯峨朝に入っても、陰陽頭を在官1年半ほどで辞任し[1]弘仁2年(811年)には周防守に任官するが、これも在職1年を待たずに石上美奈麻呂と交代している。

官歴 編集

日本後紀』による。

脚注 編集

  1. ^ 大同5年7月18日に安倍真勝が陰陽頭に任官

参考文献 編集