斉藤惣一
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斉藤 惣一(さいとう そういち、1886年7月9日 - 1960年7月5日)は、日本キリスト教青年会(YMCA)同盟総主事である。日本のJ・R・モットと言われた。
さいとう そういち 斉藤 惣一 | |
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生誕 |
1886年7月9日 日本、福岡県企救郡大里村 |
死没 |
1960年7月5日(73歳没) 日本 東京府 |
墓地 | 雑司ヶ谷霊園 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 第五高等学校、東京帝国大学 |
職業 | 大学教授(英文学)、YMCA総主事 |
経歴
編集1886年(明治19年)福岡県企救郡大里村に生まれる。第五高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部で学ぶ。1911年(明治44年)東京帝国大学を卒業後に、第五高等学校で英文学の教授になる。ジョン・モット、G・M・フィッシャーの影響を受けて、1917年(大正6年)に教師を辞職して、YMCA同盟主事に就任する。1921年(大正10年)には総主事になる。
1924年(大正13年)から10年間、東京キリスト教青年会総主事に就任して、関東大震災後の復興のために尽力する。日本YMCA大陸事業の責任者、太平洋問題調査会理事[1]、日本基督教連盟遣米使節として、太平洋戦争開戦前後の日中と日米関係改善に尽力した。
戦後は、引揚援護院初代長官に就任し、1950年(昭和25年)まで外地からの引揚者のために尽力する。また国連特別委員会日本政府代表も務める。また、国際基督教大学建設実行委員長、ユニオン神学校客員教授をも務める。
著書
編集- 『世界青少年の指導者J・R・モット』
- 『ジョージ・ウィリアムスと基督教青年会』
- 『世界伝道協力論』
- 『神の国の建設者』
脚注
編集- ^ 「恒久的な組織として設立、理事長に井上準之助」『東京日日新聞』1926年4月7日(大正ニュース事典編纂委員会『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p.384 毎日コミュニケーションズ 1994年)
参考文献
編集- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。