斗六庁

日本統治下台湾の行政区画
斗六庁
大日本帝国台湾の庁

1901年 - 1909年
 

斗六庁の位置
斗六庁の位置
1904年当時の地図
政庁所在地 斗六
歴史
 - 創立 1901年
 - 廃止 1909年
行政区画 7支庁
現在 雲林県
南投県竹山鎮鹿谷郷
斗六庁舎

斗六庁(とろくちょう)は、日本統治時代の台湾地方行政区分のひとつ。

地理

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廃止時点で崁頭厝、西螺、北港、土庫、崙背、下湖口、林圯埔の7つの支庁および直轄区域を管轄した。

歴史

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沿革

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  • 1901年(明治34年)11月 - 台中県から分立し成立する。
  • 1902年(明治35年)4月 - 林圯埔支庁労水坑派出所が労水坑支庁として分立[1]。同年11月、西螺堡公溝庄、水尾庄、新厝庄、牛埔庄の4庄の所属を彰化庁に変更[2]
  • 1905年(明治38年)3月 - 労水坑、他里霧各支庁が廃止となり林圯埔、崁頭厝、土庫各支庁に編入する。水井庄の所属が北港支庁から下口湖支庁に変更となり、林圯埔支庁高厝林仔頭庄刈菜園の所属が桶頭庄に変更となる[3]
  • 1907年(明治40年) - 巒大社の所属が南投庁に変更となる[4]
  • 1909年(明治42年)10月 - 斗六庁は廃止となり林圯埔支庁沙連堡、鯉魚頭堡は南投庁に、それ以外は嘉義庁にそれぞれ編入する。

行政

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歴代庁長

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脚注

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  1. ^ 臺灣總督府史料編纂會 (1902). 斗六廳林圮埔支廳ヲ分割シ勞水坑支廳ヲ增設ス 
  2. ^ “修正廳位置及管轄區域中斗六廳及彰化廳之管轄區域。”. 臺灣總督府報. (1902年11月25日) 
  3. ^ 臺灣總督府史料編纂會 (1905). 斗六廳支廳中廢止幷ニ管轄區域變更 
  4. ^ 臺灣總督府史料編纂會 (1907). 斗六廳管內、巒大社ヲ南投廳ノ管轄ニ移ス