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新宮 行朝(しんぐう ゆきとも)は、江戸時代前期の武将清和源氏新宮蔵人行家の子孫と称した。生家である熊野別当家の流れをくむ新宮堀内家とその一族は『寛政重修諸家譜』に詳しい。

 
新宮行朝
時代 江戸時代前期
生誕 慶長元年(1596年
死没 正保2年(1645年
改名 堀内氏弘→新宮行朝
官位 若狭守
主君 豊臣秀吉浅野幸長藤堂高虎?
氏族 堀内氏清和源氏河内源氏新宮氏
父母 父:堀内氏善
兄弟 行朝重朝氏久米良道慶
有馬氏時氏清氏治
古田重然

生涯編集

慶長元年(1596年)、紀伊国新宮城主・堀内氏善の嫡男(六男、または弟とも)として誕生。初名は堀内氏弘

豊臣秀吉が天下を統一する前後からその家臣となり、関ヶ原の戦いでは西軍に属して改易、没落した。浅野幸長が紀伊和歌山城主に封ぜられると、行朝は500石で召し抱えられたが、待遇に不満を覚えて出奔した。大坂の陣では、旧領回復のため300人を率いて豊臣氏に与し、大野治房の寄騎を経て伊東長次の部隊に属した。大坂夏の陣天王寺・岡山の戦いなどで大いに活躍し、紀州一揆を煽動することによって旧主浅野氏を混乱させている。

大坂城が落城すると一旦逃れたものの、大和国松倉重政軍に捕らえられた。その後、三弟の堀内氏久(七弟、または甥とも)の千姫救出の功により赦免され、伊勢国津藩藩主・藤堂高虎の家臣となったという。また、異説には大和竜田藩片桐氏に70石で仕えたとも伝わる。