新庄直敬
日本の江戸時代後期~明治時代前期の大名・知藩事。江戸幕府旗本新庄直孝長男で、常陸麻生藩14代藩主新庄直ハツ養子。麻生藩15代藩主。従五位下下野守
新庄 直敬(しんじょう なおたか)は、常陸麻生藩の第15代(最後)の藩主。
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
---|---|
生誕 | 文政元年(1818年) |
死没 | 明治5年9月2日(1872年10月4日) |
戒名 | 賢性院殿徳永義忠大居士 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下、下野守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川慶喜 |
藩 | 常陸国麻生藩主 |
氏族 | 新庄氏 |
父母 |
父:新庄直孝、母:本多氏 養父:新庄直𩑛 |
妻 | 松平信意の娘 |
子 | 直正(長男) |
来歴
編集文政元年(1818年)、麻生藩分家である旗本の嫡子新庄長門守直孝(3000石)の長男として生まれる。天保8年(1837年)に徳川将軍家の小姓として仕え、8月25日に従五位下・下野守に叙位・任官する。安政元年(1854年)、父が早世していたため、祖父から家督を相続する。慶応3年(1867年)の麻生藩主・新庄直𩑛の夭逝により、新たに本家を相続する。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府に恭順し、4月には水戸藩浪士の追討を務めている。明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により麻生藩知事に任じられ、藩校精義館の創設や藩の職制改革に務めた。明治4年(1871年)7月の廃藩置県により、知藩事を免官される。翌明治5年(1872年)9月2日に死去した。享年55。
系譜
編集父母
正室
- 松平信意の娘
子女