於波留
松平昌安の娘、松平清康正室
略歴
編集大永4年(1524年)、松平清康が支城の山中城を乗っ取り、本城の岡崎城の開城を松平昌安に迫った時、昌安は娘の於波留を清康に嫁がせて城を譲った [2]。
ただし、この当時、清康と実家の安城松平家の間に何らかの問題が発生して清康が同家を離れており、昌安が清康を婿養子に迎えて岡崎城を譲ったとする説もある[3]。
参考文献
編集- 『徳川一族 時代を創った華麗なる血族』(株式会社新紀元社、2008年)
- 『新編岡崎市史』(新編岡崎市史編さん委員会 、1983年、569p)
脚注
編集- ^ a b 新編岡崎市史編さん委員会 1983, p. 569.
- ^ 株式会社新紀元社 2008.
- ^ 村岡幹生「松平信定の事績」『戦国期三河松平氏の研究』(岩田書院、2023年)、P221.