日本大学カザルスホール

日本大学カザルスホール(にほんだいがくカザルスホール)は、東京都千代田区にあるコンサートホール。2003年以降は日本大学の所有となり、日本大学大学院法務研究科(お茶の水キャンパス)など、入居する部署を変えながら学校施設として使用されている。音楽ホールとしての使用は2010年を最後におこなわれていない[1]

日本大学カザルスホール
170312 Nihon University Ochanomizu Square Building Tokyo Japan01s3.jpg
日本大学カザルスホールの位置(東京都区部内)
日本大学カザルスホール
情報
旧名称 お茶の水スクエアA館
用途 大学施設
設計者 磯崎新
施工 大林組日本国土開発
敷地面積 9,083 m²
建築面積 3,659 m²
延床面積 22,231 m²
階数 地下3階、地上13階
竣工 1987年(昭和62年)9月
所在地 東京都千代田区神田駿河台1-6
座標 北緯35度41分50秒 東経139度45分45秒 / 北緯35.69722度 東経139.76250度 / 35.69722; 139.76250 (日本大学カザルスホール)座標: 北緯35度41分50秒 東経139度45分45秒 / 北緯35.69722度 東経139.76250度 / 35.69722; 139.76250 (日本大学カザルスホール)
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概要編集

主婦の友社ビル跡に、主婦の友社の完全子会社である株式会社お茶の水スクエアにより、オフィスコンサートホールとして開発された複合施設(A館、B館、C館の3棟)であった。

お茶の水スクエアA館は、「日本大学カザルスホール」と改称し再開業した。当初はホールとの兼ね合いから日本大学藝術学部の一部機能を移転させる方向で模索していたが、法科大学院設置構想が進捗したことに伴い転用された。

地上13階、地下3階建てで鉄骨鉄筋コンクリート構造

カザルスホールは、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の旧主婦の友社ビルの外観を模したものである。

ホール自体は取り壊しが決定されているわけではなく、存続の是非が検討されたが、前述の通り校舎部分の利用予定が数年先まで決まっている。千代田区も、学校法人日本大学へホールの存続を申し入れている[要出典]

2022年7月1日に行われた日本大学理事長就任の記者会見のあいさつの中で、林真理子氏はカザルスホールの復活を新理事長の3つの案の一つとして挙げ、記者からの質問に「卒業生の力も借りて、寄付を募っていく」と語った[2]

2022年7月17日付の朝日新聞(声)の欄に、京都府の無職の投稿者(69歳)が「カザルスホールの復活を期待」と題し「日本大学の理事長に作家の林真理子氏が就任した。そこでお願いしたいことがある。」とホールの存続を願う文章を投稿した[3]。これに対し、林氏は3日後の同20日、同じ投稿欄に作家 林真理子(東京都 68)として「名ホール復活、みなさんの支援で」と題した文章を投稿[4]。自身のホール復活の構想を改めて説明し、投稿者に対して応援団の一人として協力してほしいと応答した。

年表編集

  • 1987年
    • 9月 - 旧A館は建築家磯崎新の設計によって竣工。
  • 2002年
    • 12月 - 取得。(11月より一時閉鎖。)
  • 2003年
    • 4月 - 日本大学カザルスホールに改称し再開業。
  • 2004年
  • 2010年
    • 3月31日 - ホール貸出終了(駿河台日本大学病院をホール跡に建設する計画が有力と報道された[要出典])。一方、閉鎖を受けて音楽関係者による「カザルスホールを守る会」が結成された[1]
    • 5月 - 学校法人日本大学は、学内に検討委員会を発足させ、その後の計画を模索。
  • 2014年
    • 11月10日 - 日本大学大学院法務研究科を法学部校舎近くにある三崎町(水道橋)へ移転。
  • 2015年
  • 2017年
    • 近隣の建て替え工事中の理工学部用校舎として使用。理工学部校舎の完成後には、同じく建て替え工事でスペースが不足する日本大学歯学部が使用。
  • 2022年
    • 7月1日 - 新理事長に就任した林真理子氏が、就任会見でオール日大の力を結集して改修、復活を目指す方針を示した[2]

周辺編集

その他編集

ホールの舞台に当たる位置には太平洋戦争前に八幡館という旅館が所在していた[5]。1931年9月に岩手県から上京した宮沢賢治が止宿するも高熱を発し、約一週間の逗留の後に帰郷、そのまま病床につき約2年後に死去した[6]

脚注編集

  1. ^ a b 合唱ニュース オンガクノシゴト 図鑑-3 コンサートホールをつくるひと - 東京都合唱連盟(2017年2月20日)2021年2月2日閲覧
  2. ^ a b 「連載いくつかやめます」林真理子氏、日大をどう変えるか 一問一答”. 毎日新聞社 (2022年7月1日). 2022年7月21日閲覧。
  3. ^ 岩城徹哉 (2022年7月17日). “(声)カザルスホールの復活を期待”. 朝日新聞社: p. 8 
  4. ^ 林真理子 (2022年7月20日). “(声)名ホール復活、みなさんの支援で”. 朝日新聞社: p. 12 
  5. ^ 神田写真館■御茶ノ水スクエアA館 - NPO法人神田学会。文中に賢治が「盛岡から上京した」「(遺書を書いた)一年後の同じ日に亡くなった」と記載されているが、正しくは「花巻から」「二年後の同じ日」である。
  6. ^ 堀尾青史『年譜宮沢賢治伝』中央公論社<中公文庫>、1991年、pp.423 - 428

外部リンク編集