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日野晴光
時代 戦国時代
生誕 永正15年1月1日1518年2月10日
死没 天文24年9月18日1555年10月3日
戒名 照岳
官位 正二位権大納言
主君 後奈良天皇
氏族 藤原北家庶流日野家
父母 父:日野内光
陽春院摂津元造の養女)[1]
晴資
養子:輝資
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日野 晴光(ひの はるみつ)は、戦国時代公卿藤原北家庶流日野家26代・日野内光の子。官位正二位権大納言。日野家27代当主。

経歴編集

徳大寺実淳の次男であった父・内光は嗣子のなかった日野政資の養子となって日野家を継ぎ、初めは11代将軍足利義高(義澄)偏諱を受け高光(たかみつ)、澄光(すみみつ)を名乗っていた。子・晴光も同じように慣例に倣い、義澄の子で12代将軍・足利義晴より偏諱を受けた。

大永7年(1527年)、桂川原の戦いで父・内光は縁戚関係にあった細川高国側について敗北し、敗走する途中で討ち死にする。晴光自身まだ幼少であったが、これを受けて家督を継いだものと思われる。天文8年(1539年2月10日参議となる。

天文24年(1555年)、薨去。享年37。実子・晴資も早世しており、一時日野家は断絶状態となるが、広橋国光の子である輝資によって再興された。

脚注編集

  1. ^ 足利義輝乳母

関連項目編集