昌谷忠
昌谷 忠(さかや ただし、1887年(明治20年)9月 - 1972年(昭和47年)5月28日[1])は、日本の外交官。駐フィンランド公使。
経歴
編集奄美大島管鈍出身。1914年(大正3年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[2]。外務省に入り、ドイツ大使館一等書記官、海口総領事などを務めた[2]。1939年(昭和14年)、外務書記官・外務大臣官房文書課長・翻訳課長・調査部第四課長、官報報告主任・統計主任となった[3]。1940年(昭和15年)、駐フィンランド公使に就任した[2]。
脚注
編集- ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、343頁。
- ^ a b c 人事興信録 1941.
- ^ 日本官界名鑑 1942.
参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。
- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十七年版』日本官界情報社、1942年。