明月院
明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である[1]。アジサイの名所として知られ、「あじさい寺」の通称がある[2]。北条時頼の墓所も敷地内にある。
明月院 | |
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所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内189 |
位置 |
北緯35度20分5.97秒 東経139度33分5.24秒座標: 北緯35度20分5.97秒 東経139度33分5.24秒 |
山号 | 福源山 |
院号 | 明月院 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
本尊 | 聖観音 |
創建年 | 応永元年(1394年)以前 |
開基 | 上杉憲方 |
別称 | アジサイ寺 |
札所等 | 鎌倉観音霊場第三十番 |
文化財 | 木造上杉重房像、ほか |
法人番号 |
5021005001984 ![]() |
歴史編集
山内上杉家の祖、関東管領・上杉憲方は密室守厳を開山として、明月院を開創した。憲方の没年は応永元年(1269年)で、それ以前の開創である。
なお、寺伝では、平治の乱で没した山内首藤俊通(やまうちすどうとしみち)の菩提のため、永暦元年(1160年)、その子の経俊が「明月庵」を建立したのが草創とされ、憲方は中興者とされているが、実際の開基は憲方とみるのが通説である。
明月院は、禅興寺という寺の塔頭であったが、本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。
禅興寺の起源は鎌倉幕府5代執権・北条時頼にまで遡る。時頼は別邸に持仏堂を造営し、最明寺と名付けたが、時頼の死後は廃絶していた。時頼の息子の北条時宗は蘭渓道隆を開山としてこれを再興し、禅興寺と改名した。
現在は、「あじさい寺」として有名で、花のシーズンにはたいへんな混雑をみせる。この寺でアジサイを植えたのはさほど古い事ではなく、第二次世界大戦後に、物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」という理由で、アジサイを植えたものが次第に有名になったという。アジサイの他にも1年中花が絶えず、紅葉でも知られる。他に冬は蝋梅、春は梅と桜が咲く。
境内編集
境内には北条時頼廟、北条時頼墓(宝篋印塔)、鎌倉十井の1つである「瓶(つるべ)の井」(「甕(かめ)の井」とも)、「明月院やぐら」と称される、岩を掘りぬいた墓室(憲方の墓とされる宝篋印塔を安置)などがある。1984年(昭和59年)2月9日、「明月院境内」として国の史跡に指定された。
文化財編集
交通編集
脚注編集
- ^ 鎌倉市史編纂委員会『鎌倉市史 社寺編』吉川弘文館、1979年10月31日、337頁。
- ^ 柴田博・相川浩子『鎌倉名刹巡礼』シバ、1996年4月15日、337頁。ISBN 4-915543-06-4。