普門寺 (加須市)
普門寺(ふもんじ)は、埼玉県加須市にある真言宗智山派の寺院。
普門寺 | |
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所在地 | 埼玉県加須市南篠崎942 |
位置 | 北緯36度07分10.2秒 東経139度37分56.5秒 / 北緯36.119500度 東経139.632361度座標: 北緯36度07分10.2秒 東経139度37分56.5秒 / 北緯36.119500度 東経139.632361度 |
山号 | 星光山 |
院号 | 慈眼院 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 不詳 |
中興年 | 永正12年(1515年) |
中興 | 栄鑁 |
文化財 | 普門寺の青石塔婆(加須市指定有形文化財) |
歴史
編集創建年代は不明である。ただ1515年(永正12年)に栄鑁が中興していることから、それ以前から存在していたものと推測される[1]。
かつては末寺45か寺を擁する大寺院であったが、1853年(嘉永6年)と1877年(明治10年)の火災により、仁王門以外の堂宇を失っている[1][2]。
境内には、「富永金太郎の墓」がある。金太郎は1300石の旗本の出身で、当地は旗本富永家の所領であった。金太郎が長じたときは既に明治になっており、秩禄処分で家禄を失ったため、金太郎は群馬県警察部の警察官となった。1883年(明治16年)6月9日、群馬県碓氷郡入山村(現・群馬県安中市松井田町入山)において、金太郎は賊の反撃に遭い殉職した。金太郎殉職の報を受け、旧所領の領民だった当地の住民は金太郎の遺髪を貰い受け、墓に葬ることになった。金太郎の実家の旗本富永家は善政を敷いていたことから、地域住民は維新後も富永家に対する恩義を感じていた。世が世なら「我らの殿様」だった金太郎の壮絶な最期を受け、富永家の恩義に報いようとしたのである[2]。
文化財
編集- 普門寺の青石塔婆(加須市指定有形文化財 昭和31年4月16日指定)[3]
交通アクセス
編集- 花崎駅より徒歩19分。
脚注
編集参考文献
編集- 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年
- 埼玉県佛教会 監修『埼玉のお寺 埼玉県寺院全集』千秋社、2001年