暉姫
暉姫(てるひめ、1826年6月19日(文政9年5月14日) - 1840年6月7日(天保11年5月8日))は、江戸幕府第12代将軍・徳川家慶の娘。田安徳川家当主・徳川慶頼の婚約者。
生涯
編集1826年(文政9年)、江戸城西ノ丸で生まれる[1]。父は徳川家慶、母は側室・於はな之方(菅谷氏)[1]。その後、1836年(天保7年)10月10日に麻疹にかかる[1]。同月21日、「御酒湯」とあり、回復した模様[1][2]。同8年(1837年)1月21日、本丸へ移る[1]。
1839年(天保10年)8月7日、田安徳川家当主・徳川慶頼と縁組する[1][3]。
1840年(天保11年)5月8日、疱瘡により死去[1]。享年15。葬地は東叡山寛永寺・春性院(上野)[1][3]。法名は貞明院殿[4]。