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曽本二子山古墳(そもとふたごやまこふん)は愛知県江南市にある古墳小折古墳群のひとつ。

曽本二子山古墳
Somoto Futagoyama kofun-20170827-01.jpg
古墳全景
所属 小折古墳群
所在地 愛知県江南市曽本町二子136
位置 北緯35度18分22秒
東経136度53分08秒
座標: 北緯35度18分22秒 東経136度53分08秒
形状 前方後円墳
規模 墳長約60m、後円部径約35m、高さ約7m
前方部幅約52m、高さ約4.3m
埋葬施設 石槨?
出土品 轡、兜、仏像、金環、土器など
築造時期 6世紀中頃
地図
曽本二子山古墳の位置(愛知県内)
曽本二子山古墳
曽本二子山古墳
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目次

概要編集

江南市南東部にあって五条川左岸の自然堤防上に位置しており、標高は16メートル[1]。水田地帯の中にあって古くは二子塚、あるいは弁慶塚と呼ばれており[2]、かつて墳丘の周囲は水田に囲まれていた。2017年現在、周辺は公園として整備されている。古墳は出土品や墳丘の形状などにより、5世紀後半[3]から6世紀中頃にかけての[1]、この地方の豪族のものと考えられている[3]

規模と構造編集

主軸は北西50°で、墳長約60メートル、後円部は直径約35メートル、高さ約7メートル、前方部は幅約52メートル、高さ約4.3メートル[1]前方後円墳。2段築成と推定されているものの、現状では確認できない状態である[1]。前方部は道路により端部が失われるなどして原形を留めず[4]、現在では忠魂碑が設置されており、後円部も大きく破壊されていたため、近年になって盛土により復元されている[1][4]葺石埴輪などは無い[1]。考古学者の柴田常恵周濠は存在しないものと考えていたが[2]、かつて周囲を囲んでいた幅10メートル程度の馬蹄型周濠があったとする説もある[1]。なお、かつては陪塚と思しき塚が古墳の近傍に複数あったが、1887年(明治20年)の調査時点ですでに失われており[2][4]、その規模など詳細は不明である。

内部構造については、1887年の記録として後円部にあったものが「一枚岩で棺は無い」と記録されていたことから、横穴式石室などではない石槨構造であったとする意見がある[1]。墳丘の西側に発掘された石材の一部が置かれているが[1]、これの詳細も不明である。

出土品編集

現在までに2度の発掘記録が残るがいずれも古いもので、それ以降に科学的調査は行なわれていない。嘉永2年(1849年)には後円部の東南側に露出していた石室?を村人が発掘し、金属製の轡と兜、更に仏像が出土した。仏像のみ本曽寺に安置し、それ以外の出土品は埋め戻したという[1]。1887年の発掘は火葬場の新築と道路修繕のための土取りを目的として行なわれ、以下の出土品があったとされる[1][4]

出土品は一部を村民が所有、轡と鎧は東京帝室博物館の所蔵となったが、国立博物館が「曽本二子山古墳出土品」として登録していることが確認できる品は以下の通りで、それ以外については所在不明である[1]。なお、金銅張轡鏡板については豊田市の豊田大塚古墳からの出土品との類似が指摘されている[1]

  • 金銅張轡鏡板
  • 鉄製絞具
  • 鉄製轡
  • 辻金具
  • 鉄製品片

ギャラリー編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 資料編3(2005)、pp.79 - 80
  2. ^ a b c 二子山古墳”. 江南市観光協会. 2017年8月30日閲覧。
  3. ^ a b 現地案内板
  4. ^ a b c d 第2分冊(1998)、P.109

参考文献編集

  • 春日井市『味美二子山古墳の時代 (第2分冊)』春日井市教育委員会文化財課、1998年6月1日
  • 愛知県『愛知県史 資料編3 考古3 古墳』愛知県史編さん委員会、2005年3月31日

関連項目編集