メインメニューを開く

有馬 吉政(ありま よしまさ)は、江戸時代前期の武士、紀州藩士。

 
有馬 吉政
時代 江戸時代初期
生誕 慶長2年(1597年
死没 寛文12年6月11日1672年7月6日
改名 清兵衛
主君 徳川頼宣
紀州藩
氏族 建部氏摂津有馬氏
父母 父:建部光重、母:有馬豊氏の養女
養父:有馬頼次
正室:広橋兼勝の娘
義景

生涯編集

建部光重の長男で[1]、生母は有馬豊氏の養女(有馬則氏の娘)[2]

生母の実父である則氏は豊氏の兄で、小牧・長久手の戦い(1584年)で戦死した則氏に男子がいなかったことから豊氏が有馬家の家督を継承した経緯がある。吉政は豊氏のもとで育てられた。

吉政は成長後に有馬頼次(豊氏の三男)の養子となった[1]。吉政は紀州徳川家徳川頼宣に仕えた。

吉政の跡は養子の有馬義景(紀州藩家老・正木為永の子)が継ぎ、吉政の姪(建部光延の娘)を娶っている[1]。義景の子・有馬氏倫は、紀州家から将軍になった徳川吉宗に側近として仕え、伊勢西条藩1万石の大名になっている。

脚注編集

  1. ^ a b c 寛政重修諸家譜』巻第四百七十
  2. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第四百六十九

参考文献編集