有馬 広春(ありま ひろはる、明和4年(1767年) - 享和元年5月22日1801年7月2日))は、江戸時代高家旗本有馬広之の三男。生母は牧野氏。通称は修理、勘解由。官位は従五位下侍従・兵部大輔。

天明元年(1781年)閏5月15日、将軍徳川家治御目見する。表高家に列する。天明4年(1784年)7月12日に高家見習に召し出されて、同年12月16日に従五位下侍従・修理大夫に叙任する。後に兵部大輔に改める。同年12月23日、高家職に就く。寛政2年(1790年)5月4日、父広之の死去により家督を相続する。享和元年(1801年)5月22日死去、35歳。

正妻は小笠原信房の娘。養子広寿松平直泰の十一男)らの子女あり。

先代:
有馬広之
高家有馬家第3代当主
1790年 - 1801年
次代:
有馬広寿