朝比奈 可長(あさひな よしなが、寛永2年(1625年) - 天和2年11月10日(1682年12月8日))は、江戸時代前期の柔術家[1]。通称は半左衛門または丹左衛門[1]。名は可良とも書く[1]。
備後福山藩士・朝比奈平兵衛の嫡男。幼くして父を失ったため、叔父にあたる土佐藩士・朝比奈右京亮により養育された。のち江戸で初め水野流居合・水野柳滴斎、のち小栗流創始者の小栗正信に師事する[1]。土佐藩主山内忠豊に和術師範役として仕えた[1]。
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