本庄 秀綱(ほんじょう ひでつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将上杉氏の家臣。栃尾城主。

 
本庄秀綱
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 不詳
改名 清七郎(幼名)、秀綱
主君 上杉謙信景虎
氏族 本庄氏
父母 父:本庄実乃、母:不明
景乃
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生涯編集

越後国の武将・本庄実乃の子として生まれる。

父と共に上杉謙信に仕えた。父同様、謙信の信任は篤く、永禄2年(1559年)に謙信が室町幕府の第13代将軍足利義輝に謁見するため京都に向かった際には、太刀持ち役を務めた。また、元亀3年(1572年)には越中進軍中の謙信によって、城将として春日山城へ入城を命じられた。

天正2年(1575年)には上杉景信上条政繁らと共に、上野国沼田城城の守将を任せられるなど、関東方面での戦いでも活躍した。

謙信死後の上杉氏のお家騒動である御館の乱では、上杉景虎方につき、御館に在城していた秀綱は落城寸前に脱出。その後も三条城神余親綱らと共に上杉景勝に抵抗するが天正8年(1580年)4月22日に栃尾城が落城すると会津方面へ逃亡する。その後は佐々成政に仕えたという。

関連項目編集