朱徽娟
朱 徽娟(しゅ きえん、万暦32年5月9日(1604年6月6日) - 万暦38年1月5日(1610年1月29日))は、明の泰昌帝の嫡出長女(第一子)。母は孝元皇后郭氏。
朱徽娟 | |
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続柄 | 泰昌帝第一皇女 |
全名 | 朱徽娟 |
称号 | (諡:悼懿公主) |
出生 |
万暦32年5月9日(1604年6月6日) |
死去 |
万暦38年1月5日(1610年1月29日) |
埋葬 | 金山 |
父親 | 泰昌帝 |
母親 | 孝元皇后 |
万暦32年5月9日(1604年6月6日)卯時、皇太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に生まれた。朱常洛は正妻の郭氏との間にその後も男子が生まれなかったため、父の万暦帝の許可で多くの側室が置かれた。翌年、王選侍が長男の由校(後の天啓帝)を生んだ。
万暦38年正月5日(1610年1月29日)、朱徽娟は死去し、金山に葬られた。
万暦48年(1620年)7月、泰昌帝が即位するが、子供たちが王や公主に封ぜられる間もなく、翌月に崩じた。天啓2年12月(西暦で1623年)、庶弟の天啓帝により徽娟は郡主から公主に格上げされ、「悼懿」と諡された。
参考文献
編集- 『明史』 - 列伝第九 公主伝
- 『明熹宗実録』
- 『明神宗実録』